旧町名継承碑「大領町一~二丁目」(阿倍野区)

旧町名継承碑「大領町」

阿倍野区の旧町名継承碑「大領町」。阿倍野区と住吉区にまたがる播磨大領公園に設置されています。

旧町名継承碑「大領町」

碑には以下のような記述があります。

 当町は明治初頭、住吉郡住吉村の一部であったが、大正一四年四月大阪市に編入され住吉区住吉町の一部となった。昭和一三年住吉町の一部が大領町一~二丁目となった。同一八年四月行政区画の変更にともない、大領町一~二丁目のうち都市計画道路北畠浅香山線(予定線)の東側以東が阿倍野区に編入された。同四二年九月住居表示の実施に伴い播磨町三丁目の一部となった。

町名は昔、村名を定める際に住吉神社の神主大領氏が住んでいたことにちなんで名付けられている。

平成5年3月 大阪市阿倍野区役所

播磨大領公園は阿倍野区と住吉区にまたがっています。このあたりでは住宅街の中を横切るように区の境界線が引かれています。

1943年の大阪市の22区への分増区に際しては、従来は旧町村の境界ごとにひかれていた区の境界を、大通りや鉄道線路などのわかりやすい目印を基準に整理する境界変更も同時におこなわれています。

住吉区と阿倍野区との分区当時、都市計画道路北畠浅香山線(予定線)という道路計画があったらしいということは読み取れます。

道路予定地に沿って境界を設定したが実際は道路は建設されなかった。そのため結果的に、住宅街の中を区の境界が通ることになったのでしょうか。

ためしに、あびこ筋が「くの字」型に折れ曲がる北畠交差点(阿倍野区)から、東西に長居公園通が通り南側に大通りが伸びている長居西2丁目交差点(住吉区)の約1.8kmを、地図上で直線で結んでみると、ちょうどその上に阿倍野区・住吉区の境界や播磨大領公園がくるようです。

なお、大領の地名は今でも住吉区側に残っています。阿倍野区側になった地域は1967年に播磨町になったものの、住吉区側では従来の住吉区大領町の大部分を中心にして、1981年2月の住居表示実施で住吉区大領1~5丁目に再編されました。