旧町名継承碑「猪飼野東一~十丁目」

旧町名継承碑「猪飼野東」
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大阪市生野区中川西2丁目5番、大阪シティバス・いまざとライナー「中川西公園前」バス停からほど近い、中川西公園にある旧町名継承碑「猪飼野東一~十丁目」。

旧町名継承碑「猪飼野東」

旧町名継承碑「猪飼野東一~十丁目」

碑文です。

旧町名継承碑「猪飼野東一~十丁目」

旧町名継承碑「猪飼野東一~十丁目」

この地は上町台地の東側、平野川と猫間川の合流点の河口付近でした。古代は上町台地の東側は海となっていて、また平野川が大和川の本流となって北上していました。

入り江があり、「猪甘津」(いかいつ)と呼ばれる港があったと伝えられています。

古来から猪飼野と呼ばれていたとのこと。古代に渡来人がこの地に住み着き、豚を飼育していたことからついた地名だといわれています。

「豚」と「猪」は、現代日本語では同じグループの動物のうち家畜化されたもの・そうでないものというやや異なる意味を示しますが、この時代は特に区別していなかったようです。

また日本書紀によると、この地の川、後世に平野川と呼ばれる川に「猪甘津橋」(いかいつのはし)がかかっていたとされています。猪甘津橋は、文献に記録されている日本最古の橋とされています。

猪甘津橋は正確な場所は不明とされていますが、江戸時代に付近(現在の生野区桃谷3丁目)にかけられた「つるのはし」が猪甘津橋跡として比定され、鶴橋の地名のもとにもなっています。「つるのはし」の名称は、鶴が集まってきたという伝承からついたという説や、「津の橋」が変化したという説があるそうです。

この地は江戸時代には、東成郡猪飼野村となっていました。明治時代に入り、1889年に町村制の施行により、周辺の村と合併して東成郡鶴橋村大字猪飼野となっています。

1925年の大阪市市域拡張によりこの地は大阪市に編入され、東成区猪飼野町となりました。1932年の町名設定により、猪飼野町の一部で東成区猪飼野東1~10丁目の町名が設定されました。1941年には生野田島町の一部を猪飼野東10丁目に編入しています。

1943年には東成区の南部を生野区として分離したことに伴い、この地は生野区に所属することになりました。

1973年2月の生野区での住居表示実施により、中川1・2・4・6丁目、中川西1~3丁目、田島1・2丁目、巽北1丁目、勝山南4丁目、新今里1~3丁目の各一部となっています。