千本松渡船場と「木津川口千本松跡」パネル

千本松渡船場

大阪市西成区と大正区との間を結ぶ渡船「千本松渡船場」。西成区側の乗り場です。

千本松渡船場 2017年7月

ここしばらくは護岸工事のために、西成区側の乗り場は南側に設けられた仮設乗り場に仮移転し、通常よりも長い通路を通っていました。2017年7月時点では護岸工事が終了し、元の位置に戻っています。

乗り場の待合室は屋根付きの小屋になっています。

千本松渡船場

待合室の中に「大阪市顕彰史跡第217号 木津川口と千本松跡」のパネルが設置されました。

木津川口千本松跡

今の木津川の両岸は江戸時代に新田として開発され、護岸工事として川の両岸に多くの松が植えられました。その松は「千本松」と呼ばれていたそうです。

パネルでの説明によると、千本松は、天橋立や三保の松原と並ぶほどの美観だったとも記されています。

時代が下り、木津川の両岸は工業地帯となり、松林の面影は全くありません。

一方で地名などに千本松の名残を見ることができます。

この場所「千本松渡船場」や、上にかかっている「千本松大橋(通称・めがね橋)」は、かつての千本松から名付けられているものです。

また西成区の地下鉄岸里駅西側の住宅街の千本地域も、地名の由来は千本松と関係があります。

勝間村(玉出町)を東西に結び千本松方向に至っていた道路が千本通と呼ばれていて、大阪市編入後に道路の両側の町名になりました。

現在の千本小学校は、昭和初期までは「玉出第三尋常小学校」と呼ばれていました。しかし1941年に国民学校への改編の際に、大阪市の国民学校では、従来は「学校所在地の地域名(大阪市編入前の旧町村など)+創立順の番号」の名前だった学校は国民学校に改編する際、番号での校名をやめて、学校所在地付近の細かい地名などを取った校名に変えるという方針も合わせて出されました。玉出第三小学校は千本松や町名の千本通からとって千本国民学校(1947年学制改革で千本小学校)の名前に変わり、校区も千本地域と呼ばれるようになりました。1973年の住居表示実施で、千本通・新開通・潮路通・田端通などの旧町名が再編されて、千本北・千本中・千本南の町名となっています。