「強頸絶間」のパネル

強頸絶間 解説板
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大阪市旭区千林1丁目、千林商店街から少し南側に入った路地の中の民家の塀沿いに、強頸絶間(こわくびのたえま)のパネルがあります。

「日本書紀」の伝承に基づく古代の話由来のもののようです。

伝承によると、以下のような話らしい。

仁徳天皇の時代、淀川の治水の際に茨田堤(まむたのつつみ、まんだのつつみ)を築堤しようとしたものの、難工事でうまくいかなかった。天皇の夢の中に、武蔵の強頸(こわくび)と、河内の茨田連(まんだのむらじ、まむたのむらじ)衫子(ころもこ、ころものこ)を川の神に「いけにえ」として差し出せば工事は成功するという「お告げ」があり、2人が連れてこられた。強頸はなくなく犠牲になったが、衫子は「川にひょうたんを投げ入れるから水中に沈めてみろ。沈めば本当の神のお告げと判断して人柱になる。しかし沈められなければそのお告げは偽物だ」と叫んでひょうたんを投げ入れた。ひょうたんは沈まず、衫子は難を逃れたとのこと。その後堤は完成したと伝えられる。

2人が人柱にされた・されそうになった場所が、それぞれ強頸絶間、衫子絶間と伝えられています。

強頸絶間は今の千林に比定され、衫子絶間は今の寝屋川市太間に比定されています。

古代の海岸線は千林付近にあり、この付近は波が押し寄せる難所だったともいわれています。

パネルのそばには石がありますが、この石、ちょうどいい具合に史跡の石のようにも見えるのですが、いろいろと調べてみると、パネルとの関係性は不明です。

「強頸絶間」の石碑は千林の別の場所にあるということです。千林商店街の少し北側の民家敷地内で保管されているようですが、個人宅の敷地内のために非公開になっているとのこと。

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