2020年正月の澪標住吉神社

みおつくし

2020年正月、気になるスポットに行ってみました。

阪神なんば線に乗車。1000系・台湾の「桃園捷運」のラッピング電車でした。日本語読みでは「とうえんしょううん」とでもなるのでしょうか、台湾の鉄道事業者のようです。「捷運」は台湾の中国語では「地下鉄・新交通システムなどの都市高速交通」(英語のRapid Transitの漢訳。日本の「都市高速鉄道」の概念とほぼ同じ)を指す様子。

阪神なんば線・ラッピングカー

阪神なんば線・ラッピングカー

伝法駅で下車。東へ徒歩3分ほどで、澪標住吉神社に着きます。

澪標住吉神社

澪標住吉神社

みおつくし(澪標)が掲げられています。大阪市の市章でもあるみおつくし、元々は海に立てられた船の航行の目標でした。伝法は今でこそ下町の住宅街ですが、かつては海辺に面した港町だった歴史もあり、港のシンボルでもあるみおつくしはこの地域にとってもなじみ深いものだったようです。

「澪標住吉神社」の文字は、第9代大阪市長(官選)・坂間棟治(在任1936年7月10日~1945年8月23日)によるものです。

澪標住吉神社

澪標住吉神社

坂間市長の時代には、前々任の関一市長らの事業を継承する形で、御堂筋が1937年に完成しました。大阪市立電気科学館の開館(1937年、現在は閉館し大阪市立科学館として移転再編)、大阪市では最初の下水処理場となる津守下水処理場の完成(1941年)、安治川トンネル完成(1944年)もこの時代です。1940年には、当時大阪市内に路線を持っていた民営バス事業者「青バス(大阪乗合自動車)」を買収し、市バス(大阪市営バス)に合併統合しました。「青バス」は当時、大阪市内で市バスと路線が競合していたそうです。

一方で在任時期が戦時中と重なっていたことから、戦時体制の影響も受けることにもなりました。1943年の大阪市の分増区・境界再編は、戦時体制の一環としての側面もありました。戦時市民運動の推進、産業報国会などの結成、学童集団疎開の開始など、戦時体制とは無縁でいられず、戦後は公職追放の対象となったそうです。

神社内の「みおつくし」と解説板。

みおつくし