針中野の地名の由来となった「中野鍼」

中野鍼
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大阪市東住吉区にある「はりみち」「でんしゃみち」の石碑。

「はりみち」「でんしゃみち」石碑

「はりみち」「でんしゃみち」石碑

「はりみち」の方向に向かうとすぐに見えてきた建物。「中野鍼」です。

中野鍼

中野鍼

平安時代から続くと伝えられている鍼灸院です。弘法大師が道中、この地の中野家に宿泊し、そのお礼として同家に、鍼灸のツボを示す木像と金鍼を贈ったことが始まりだとされています。

中野の鍼は代々評判と伝えられ、江戸時代の絵図にも「中野村小児鍼」が示されています。江戸時代の中野村は明治時代の町村制で周辺の村と合併して南百済村となり、のち大阪市に編入されています。

時代が下り、1914年の南海平野線(路面電車)の開通に合わせ、南海平野線中野駅(現在の大阪地下鉄谷町線駒川中野駅東側付近)から鍼灸院までの道案内として、先述の「はりみち」「でんしゃみち」の石碑が建てられました。

また大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)建設の際には、中野鍼の当時の当主が建設に協力し、大阪鉄道は感謝の意を示してこの地に開設した駅に「針中野」の駅名を付けました。そして針中野の駅名は、周辺一帯を指す地名ともなっています。