音楽がデザインされた大正橋

大正橋 欄干にデザインされたメトロノーム

大阪市大正区と浪速区を結ぶ大正橋。大正区を代表するスポットの一つでもあり、大正区の区名も大正橋に由来しています。

初代の橋は1915年(大正4年)にかけられました。現在の大正区の区域は当時は西区の一部でしたが、現大正区域が工業地帯として発展したことから、対岸と結ぶ橋として架橋されました。当時の元号から大正橋の名称が名付けられました。

その後人口の増加により、1925年には当時の西区から西部(現港区・大正区の区域と現西区九条地域)が港区として分かれ、さらに1932年(昭和8年)には港区から分かれて大正区ができました。

新区の名称を決める際、「大正橋区」にしたいという意見が多かった一方、大正橋区では長いとして大正区に落ち着いた経緯があるそうです。

初代大正橋はアーチ支間91.5メートルの、当時日本一のアーチ橋だったそうです。

現行の橋は2代目で、1969年に部分開通し、1974年に全面完成しました。

大正橋のデザイン、よく見ると面白い工夫がされています。

歩道と車道を区切る縁石にメトロノームのデザイン。

大正橋 メトロノームがデザインされた敷石

欄干は五線譜に見立てて楽譜のデザイン。歩道のタイルも、白い石と黒い石を交互に並べ、ピアノの鍵盤をデザインしています。

大正橋 欄干にデザインされたメトロノーム

大正橋 欄干にデザインされた「第九」の楽譜

欄干の楽譜はベートーベンの「第九」(交響曲第9番第4楽章「歓喜の歌」)の一節です。

なぜこの曲が選ばれたのかという詳しい資料を見つけることは出来ませんでした。

しかし、大正区の歴史をひもとくと、おそらくこれかもしれないなと推測できそうなことがありました。

第一次世界大戦直後の1914年から1917年にかけて、現在の平尾から南恩加島にかけての一帯に、ドイツ軍俘虜収容所が開設されていたそうです。俘虜収容所跡地は現在は平尾亥開公園となっていますが、その歴史を踏まえたものかもしれません。