旧・大阪市立津守幼稚園と津守新田会所跡

津守幼稚園

旧・大阪市立津守幼稚園(西成区津守)。大阪市立津守小学校に併設される形で開園しました。

しかし地域の児童減少を背景に、津守小学校とともに、2015年3月に閉園になりました。

閉園の方針は地元でかなり前から折衝されていたようです。地元合意が重要として閉園具体化の動きは進んでいなかったものの、橋下・維新市政になって強引な方向での閉園がゴリ押しされ、大阪市が園児の保護者に対して「自分たちで一定人数以上入園希望者を集めろ」と無理難題をふっかけるなどの騒ぎもあり、ニュース報道などでも取り上げられていました。

保護者は入園希望者を集めたものの、結局閉園が強行された形になりました。

津守幼稚園

園児が描いた絵が残されていました。

津守幼稚園

津守幼稚園 閉園

津守幼稚園の門の奥に見える石碑。

津守新田会所跡

「津守新田会所跡」。津守は江戸時代初期、現在の北津守・南津守とともに、津守新田として開発された歴史があります。津守新田会所から開発が始まりました。

明治時代までは農地だったようですが、その後工業地帯へと変化しました。地域人口の増加により津守小学校から南津守・北津守の各小学校が分かれ、小学校区を単位にする形で地域も北津守・津守・南津守に分かれる形になりました。