浪速区・旧徳風学校跡

徳風学校あと

今宮戎神社北側の「大阪市立広田保育所」敷地。明治末期から大正時代にはこの地に「徳風小学校」があったそうです。

跡地を示すプレートが、保育所の壁に掲げられています。

徳風学校あと

「大阪市顕彰史跡第192号 徳風学校跡」と記載された説明板。

この説明板によると、近代産業の発達で都市部に貧困層が生まれ、貧困層家庭の児童の不就学が顕在化したことを背景に、篤志家が1911年、この地に地域の貧困層児童に就学機会を確保するために設置した小学校「徳風学校」を開設したとのこと。

最初は私学の夜間学校として運営されましたが、のちに昼間部を設置し、また1922年には大阪市に移管され「大阪市徳風尋常小学校」と称したとのことです。1938年には現在の西成区萩之茶屋2丁目に移転したのち、1945年の大阪大空襲で被災してそのまま廃校(1946年に近隣の萩之茶屋小学校に統合。統合先の萩之茶屋小学校は2015年に「いまみや小中一貫校」新今宮小学校に統合)になったとか。