旧町名継承碑「有楽町」

旧町名継承碑「有楽町」

大阪市西成区、松虫通沿いにある旧町名継承碑「有楽町」。

旧町名継承碑「有楽町」

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旧町名継承碑「有楽町」

当町は明治初頭、西成郡勝間村の一部であった。大正一四年四月大阪市に編入され西成区玉出町の一部となり、昭和二年一月有楽町となった。同四八年一一月住居表示の実施にともない岸里東一丁目・天下茶屋三丁目の各一部となった。

町名は旧字名による。

有楽町の地名は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名・茶人で織田信長の弟にもあたる、織田長益(織田有楽斎)がこの地に住んでいたという伝承に由来しているということです。有楽斎は千利休の弟子にあたります。

現在の天下茶屋付近は、上町台地から良質の水が湧き出ていたといわれています。

時代はさかのぼりますが、戦国時代の茶人・武野紹鴎も、晩年にこの地(南に徒歩数分ほどの天神ノ森)で隠遁生活を送ったと伝えられています。紹鴎は千利休の師匠でもあり、すなわち紹鴎にとっては有楽斎は孫弟子にもあたります。

天下茶屋の地名も、この地点から少し南に行った紀州街道沿いの屋敷で、豊臣秀吉が住吉大社参りをする際に休憩して茶で一服したことから、「殿下の茶屋」「天下の茶屋」から地名になったものだそうです。

のちに有楽町の町名がつくことになる地域の付近は、西成郡勝間村(のち玉出町)・今宮村(のち今宮町)・東成郡天王寺村の境界にもあたります。

このあたりは太平洋戦争の戦災で焼失し、戦後の区画整理の一環として都市計画道路(今の松虫通)が作られたことで町域が分断されるなどの大きな変化がありました。

1973年に松虫通の北側が天下茶屋3丁目の一部となり、また松虫通の南側が岸里東1丁目の一部となりました。