旧町名継承碑「桜井町」(西成区)

旧町名継承碑「桜井町」(西成区)

西成区南津守7丁目、南津守公園の中にある「桜井町」の旧町名継承碑。

旧町名継承碑「桜井町」(西成区)

碑文には、以下のように書かれています。

 当町は明治初頭、西成郡桜井新田の一部であった。大正一四年四月大阪市に編入され住吉区桜井町となった。昭和一八年四月行政区画の変更にともない平野柴谷線北側以北、府道大阪羽曳野線東側以東の桜井町が西成区に編入された。昭和四八年一一月住居表示の実施にともない、南津守七丁目・玉出西二丁目の一部となった。

町名は桜井新田の開墾者であった桜井甚兵衛の姓を取ったことに由来する。

江戸時代には現在の西成区西部(津守)、住之江区、大正区、港区、此花区、西淀川区にあたる地域で新田開発がおこなわれていました。

桜井新田はそのような新田のひとつとして、現在の西成区南津守7丁目付近から住之江区加賀屋地域にあたる地域で、1831年に桜井甚兵衛の手によって開墾されました。

明治時代になると西成郡から住吉郡に所属替えとなったのち、町村制の施行によって桜井新田や近隣の新田が合併し、住吉郡敷津村として村政を敷きました。

その敷津村は大阪市に編入され、住吉区桜井町になりました。

1943年に大阪市の区の再編により、桜井町の一部が住吉区から西成区に編入されることになりました。

1943年発行の地図。

大阪全圖 : 最新 : 大

大阪全圖 : 最新 : 大(1943年発行)

桜井町は西成区と住吉区に分かれる形になりました。住吉区側は戦後すぐに東加賀屋町に再編されたようです。(現在の住之江区東加賀屋の一部)

西成区側は1973年の住居表示まで地名が残り、南津守7丁目に再編されました。