関一大阪市長の像

大阪市北区中之島。

中央公会堂です。

中之島・中央公会堂
中央公会堂

中央公会堂と向かい合う形で建てられているのは、第7代大阪市長・関一(1873年~1935年)の像。

第7代大阪市長・関一の像(大阪市北区中之島)
第7代大阪市長・関一の像

関一は都市計画学者として東京高等商業学校の教授を務めたのち、第6代大阪市長・池上四郎の招聘によって、1914年に大阪市助役に就任しました。その後1922年に池上の後任として大阪市長(官選)に就任しました。

池上四郎の市長時代に大阪市の社会基盤の整備が準備・計画され、関一の時代に大きく花開いた形になりました。

都市計画学者としての知見を生かし、御堂筋の拡幅、地下鉄の建設と市内地下鉄交通網計画の策定、市営バスの導入、市営住宅の設置、大阪港築港事業、旧制大阪商科大学(現大阪市立大学)の開学、大阪城公園の整備と大阪城天守閣の再建、大阪市中央卸売市場の開設、公設市場の設置、など、都市としての大阪市の発展につながる基礎を作りました。

1935年1月、病気で倒れ在任中のまま死去しました。関一の死去から半年後に出生した孫の関淳一氏は、市民病院医師・市環境保健局長・市助役を経て、2003年~2007年に第17代大阪市長を務めました。

関一の時代に作られた大阪市の基盤は、80年以上経った現在でも、大阪市の市民生活を支えています。しかし近年、維新とかいうのが、橋下徹・吉村洋文と2代にわたって大阪市の都市としての基盤を破壊するような市長をだし、とんでもないことです。

御堂筋では電飾で台無し、地下鉄・市バスは乱暴な民営化に移行、市立大学は府立大学との統廃合策動、大阪城公園など市内の公園は商業施設の利益の場として提供――嘆かわしいことですなあ。