旧町名継承碑「鶴浜通一~三丁目」

旧町名継承碑「鶴浜通一~三丁目」
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大阪市大正区の旧町名継承碑「鶴浜通一~三丁目」。

旧町名継承碑「鶴浜通一~三丁目」

旧町名継承碑「鶴浜通一~三丁目」

旧・大阪市立鶴浜小学校(2015年閉校)前、歩道橋のそばにあります。

大正区の南西部にあたる現在の鶴町付近は、明治時代~大正時代に大阪港の臨港開発に伴って埋め立てが進められた地域です。その後住宅や工場が建つようになりました。

この付近は1917年に大阪市(西区)に編入され、鶴浜通一~三丁目の町名が設定されました。従来の鶴町のさらに外周部に造成され、浜に面した埋め立て地であることから、鶴浜通の町名が設定されています。鶴町・鶴浜の「鶴」は、万葉集の古歌から設定されています。

潮干れば あしべにさわぐ あし鶴の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに

(塩干者 葦邊尓糝 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二)

(万葉集 巻六 1064番 田辺福麻呂)

※「あし鶴」の部分は「白鶴(しらたづ)」「百鶴(ももたづ)」など異表記あり。

行政区はその後、大阪市の区の再編成によって、1925年に西区の西部・南部を分割する形で港区となり、さらに1932年には港区から分かれる形で大正区となりました。

1976年の住居表示実施により、鶴町に統合される形で町名はなくなっています。

一方で、鶴浜小学校・イケア鶴浜などの施設名称の形で、旧町名が使われることもあります。