旧町名継承碑「柳通一~七丁目」

旧町名継承碑「柳通」
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大阪市西成区、天下茶屋駅西側の国道26号「天下茶屋駅筋」交差点の北東角。

ここに旧町名継承碑「柳通一~七丁目」の碑があります。

旧町名継承碑「柳通」

旧町名継承碑「柳通」

碑文です。

旧町名継承碑「柳通」

旧町名継承碑「柳通」

柳通は、現行では現在の西成区橘1~3丁目の南側を中心に、花園南2丁目の一部、潮路1・2丁目の各一部、千本北2丁目の一部を含んでいる町名です。

この地はかつては西成郡今宮村および木津村の一部でした。明治時代の大阪市第一次市域拡張により、今宮村の北部と木津村の北部がそれぞれ大阪市に編入され、残った今宮村の南部と木津村の南部が合併して新たな今宮村ができたという経緯があります。

日露戦争の時には、この地付近に俘虜収容所が設置されたといわれています。

日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地の碑
天下茶屋駅西側、デイリーカナート敷地内に「日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地」の石碑があります。2013年4月に設置されました。石碑の碑文は以下のようになっています。日露戦争大阪天下茶屋俘虜(ふりょ)収容所跡地明治38年(1905年)、この

その後当時の今宮村では、俘虜収容所の土地が返還されたものの、元の耕地に戻すのは困難として、宅地開発の区画整理をおこないました。

東西の道路を整備し、南側の道路から柳通、桜通、橘通、松通、梅南通、梅通と植物の名前を付けています。そこから道路周辺の町名も設定されました。

今宮村は町制施行で今宮町となったのち、1925年の大阪市編入に至りました。

今宮町は西成区の一部となり、西成区柳通一~七丁目の町名が設定されました。