浪速区・有隣学校跡のパネル

有隣学校跡

大阪市浪速区浪速東3丁目、今宮駅近くの浪速第一保育所の壁に「有隣学校跡」のパネル(大阪市顕彰史跡第218号)が設置されました。

有隣学校跡

近代に入り、明治時代後期からの産業革命の影響を受け、大阪の都市化・産業化が進展しました。

その一方で都市化に伴う負の側面として、都市部周辺に貧困層が生まれ、労働に従事するために不就学となる児童が生まれました。

現在の大阪市域では、地域の篤志家などが出資して、昼間学校に通えない児童向けの夜間小学校などを設置する動きも生まれました。

現在の北区や浪速区などに、そういった小学校が数校設置されました。有隣学校もその一つです。

有隣学校は、当時の難波警察署長・天野時三郎が発案し、趣旨に賛同した新田帯革製造所(現・ニッタ株式会社)創業者・新田長次郎が資金を出して、1911年6月に設立されました。

当初は私立学校として発足しましたが、1922年に大阪市に移管されました。有隣勤労学校(1927年)・南栄国民学校(1941年)の名称変更を経て、1945年の大阪大空襲で地域一帯が被災したことを受けて戦後に休校・廃校となり、栄小学校に統合されています。

有隣学校跡パネル